こんにちわ。ごろごろごろうです。
このブログを始めた3年前、それどころか1年ちょっと前まで、自分が大学で英語を教えてるなんて、考えてみもしませんでした。しかし、ひょんなことで、いや正直に言うと失業保険の受け取りだけのために行っていたハロワから紹介されてこの仕事に携わることになりました。
とは言え、やりながら改めて自分のことについて考えてみると、実はずっとこういうことをしたかったことに気づきました。
今日は、その事に関する思いです。
なお、このことは、大学の学生の学年末の最後の授業の資料で記載しています。
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僕は人生の大半(ん十年)を日本で過ごしてきました。必然的に付き合いのほとんどは日本人です。そして、老若男女、出身や職業問わず、日本人の知り合いの多くが、「英語が苦手」「英語が嫌い」と言うのを聞いてきました。
でも僕はそれを聞くたびにとても残念な気持ちになります。
なぜなら、英語が苦手という考えそれ「だけ」が原因で、世界の情報を自ら遮断し、結果として自分の見える世界が途端に小さくなるからです。
そして、なぜ、多くの日本人がそういう気持ちになるのか。僕は、最近、その原因の一つが、日本人の多くが最初に英語に接するのが学校の授業だから、というのもある気がします。つまり、英語というのが学校の授業の一つであるという認識の結果、英語というのは最初から「勉強の科目」= 「成績の対象となるもの」になっていて、だからこそ、英語は「めんどくさいもの」になって遠ざけてしまい、そうするといつの間にか英語は「難しいもの」として捉えられてしまうのではないのか、と思うようになりました。こういうふうに考えるようになったのは、やはりこの1年で始めた家庭教師や個別塾講師を通じて中高生に英語を教えるようになったのも原因としてあります。
ただ、どうか改めて考えてください。
英語はただのコミュニケーションの一つのツールでしかありません。
英語は飽くまでも日本語や中国語、いや、身振り手振りなどのボディーランゲージと同じです。
つまり、英語そのものが重要なのではなく、英語を通じて日本では知り得ない何かを知り、日本語を通じない人たちに英語を通じて自分の思いや自分の知りえた知識・経験を伝えていく、そっちがメインなのです。
だから、僕は英語の授業で重要視しているのは、英文法や英単語などの成り立ちなどの英語そのものの情報よりも、教科書やテキストが伝えようとしている内容です。あるいは、僕がこれまでいろいろなところで経験・見聞きしてきた様々な文化です。つまり、教科書やテキストが書かれている内容をまず知ることで、逆にこの英語は何を伝えようとしているのか、そこを重視しています。
日本は、いや、世界は今大変な状況となっています。出口の見えないトンネルにみんなで彷徨っている、そんな感じです。とはいえ、僕はいつか、いや、年内にはこのトンネルから脱出していることを信じています。(ほとんど根拠はありませんが)
その先にどんな未来があるのかはわかりませんが、恐らく、世界中の人々の中でコミュニケーションツールとして最も使用されている英語の地位はそれほど変わらないと思っています。
なので、僕は一人でも日本の多くの人たちに、ぜひ、「英語は苦手」という心理的なブロックを外してもらって、世界を知る、あるいは世界に知ってもらうようになってほしい、そういう思いで英語を教えています。