こんにちわ(おはようございます?)
なまけものカウンセラーでお馴染みのごろごろごろうです。
今日(8月24日(土))は僕が野外活動のボランティアとして関わっている公園でお祭りがあって、所属するボランティアクラブが出店する関係で、ちょっと早めのブログ更新です。今日はヘトヘトになるんだろうなぁ。
さて、今日は、一般的な話ではなく、ちょっとした自己開示です。もし、それが読みたくなければ、せめて、最後の☆☆☆のところからだけでも読んでいただければ、幸いです。
なので、少し長文になると同時に、僕個人の話になるから、その点、ご了承ください。
一昨日、僕に一生懸命カウンセリングや心理学について、1年半にわたって、みっちり、そして親身になってコーチしてくれた、林真路さんと増田江利子さんが主催する、「人生を変える☆心理学講座(略称:うつサポ)」(無料だよ!毎月やってるから来てね!連絡は僕に頂戴!)という講座で、岡田沙織さんという方の講演を聞いてきました。
岡田さんはNPO法人「若者メンタルサポート協会」の理事長をやっていらして、生きづらさを抱える若者をサポートする活動を実施している方です。最近はテレビでも活動が紹介されているから、知っている人がいるかもしれません。
岡田さんの人生は、それはまあ、DV、いじめ、リストカット、うつ、両親の離婚をはじめとして、ありとあらゆる壮絶な人生経験をしていて、だからこそ、そういう大変な若者たちをサポートすることを決めたらしいです。詳細は、岡田さんの著書「あなたは何も悪くない」に書かれているので、ぜひ読んでください。
でも、ここでお話したいのは、彼女の壮絶な人生から何を学んだか、ではなく、実は僕のコンプレックスのことなんです。昨日のブログで書いたように、この時の講演を聞いて、なぜか、心がワサワサとザワツキました。なんだか、落ち着かない感じっていうのかな。もっというと、昔の自分を思い出した、というか。
55年も生きていれば(あ、歳がバレた)、あるいはカウンセラーをしていれば、これまでいろんな人のいろんな壮絶な人生を聞いてきました。具体例をあげたいんですが、プライバシーの関係もあるので、ここでは控えておきますね。でも、実は岡田さんと比べても全然遜色ない(って言い方が正しいのかどうかはわからないけど)壮絶な人生を数限りない位聞いてきました。なので、壮絶な人生の話は聞き慣れていたはずだったんです。
だから、岡田さんのそれも、そのうちの一つにしか過ぎなかった。はずでした。
でも、本当になぜかわからないけど、今回だけは僕の心はワサワサして、落ち着かない感じになり、挙げ句に部屋を出たいくらいになりました。
だから、家に帰って、その思いをノートに書きました。
そしたら、少しだけ、原因がわかりました。それを今から話します。
☆☆☆
僕は、多分、そういう壮絶な人生を送った方々から見れば、いや、普通(何をもって普通かにもよるけど)のレベルから言ってもかなり恵まれた環境に生まれていると思います。まあ、特に資産家の家に生まれたわけでもないから、超金持ちの子って訳でもないし、普通のサラリーマンの子だったけど、でも、それでも、アパートではなく戸建てだったし、高校も私立だったし。欲しい物をなんでも買ってもらったわけではないけど、でも、何不自由なく生きてきたのは事実です。
その上、子供時代は父の仕事の関係でオーストラリアに住んでいて、英語を難なく取得して、それがいまでも自分の財産として生きています。
しかも、少なくとも高校まではそれほど勉強しなくてもそれなりに成績は取れ(浪人したけどね)、国立のそれなりの大学に入学し、大学院まで行かせてもらってます。
さらに、別に母親は所謂「教育ママ」ではなくとても優しい人で(勉強しろとはいわれたけど)、父も穏やかであんまり怒ることなかったし、本当に優しい両親のもとで育ちました。
いじめだって経験ないです。(パワハラや会社で上層部に無視されたりとか、そんなことはあったけど)
だから、本当に恵まれた環境に生まれ、育ち、それをある意味、今でもそれを享受しています。
それでも、いや、だからこそ、僕はこんな恵まれた環境が実はすごいコンプレックスだったんです。(壮絶な人生を送ってきた人からすれば「ふざけんな!」って言いたい気持ちはよーーくわかるけど)
なぜか。それはね、母親が毒親だったとは決して思わないけど、でも、今思うと、その後僕が他人軸で生きる礎を築くような発言を数多く何度も言っていました。
曰く、「あなたはどれだけ恵まれているのかわからないのよ」
曰く、「いつかはわかるわ。その時にはきっともう遅いのよ」
曰く、「あなたはその恵まれている環境にいるんだから、もっと感謝しなさい」
そして、それとは別のときに、良くこう言ってました。
「なんで、もっと努力しないの」
「楽して生きるなんてできないのよ」
母親は昭和一桁世代で、戦中戦後の大変な時に青春時代を過ごしてきたからこそ、僕にいろいろと警告していたんだと思います。それは、自分が親になったからよくわかります。母親としてみれば、今の自分の生活を当たり前と思ってほしくない、そんな気持ちがあったんだと思います。
思いますが、でも、子供の自分にしてみれば、それらの言葉は僕の中では一つに繋がって、
「こんな恵まれた環境にいるのに努力しない俺ってなんてダメダメなんだ」
って気持ちになってしまうんですよね。多分、壮絶な人生を送った人からみれば、全然わからないことなんだと思います。いや、わからなくて当然です。
例えてみれば、というか、例えていいのかわからないけど、美人やかわいく生まれた女の子がその美しさそのものにコンプレックスを抱くのと同じような気がするんです。
美人に生まれたのは、それはそれでいいことのはずなのに、変に羨まられて、なんだか、別に好きで美人に生まれたわけじゃないのに、そこばかり指摘されてかえってつらい思いをするっていうか。いや、例えが違うのかなぁ。
話を自分に戻すと、「恵まれた環境」「与えられたいろいろな学力」「お金という面では何不自由ない生活」「帰国子女のおかげで簡単に喋れる英語能力」が、本来は自分の強みであるはずなのに、「努力しない」というそういう他人軸に乗っけると、完全にダメダメになっちゃうんです。しかも、「うつ」になる。なんでだ?鬱になる理由なんてどこにもないじゃん!これだけ「恵まれた環境」にいるのに鬱ってどういうことよ?ってなって、どんどん他人軸に乗っかり、ますます鬱が深まっていくわけです。
さらに言えば、「壮絶な人生」を歩んでいる人たちはその人生を語れば誰もがその方々のコンプレックスは理解されるけど、「恵まれた環境」に生まれたことがコンプレックスなんて、とてもじゃないけど、他人に説明できないし、理解されない、と考えてました。これも、他人軸で考えていたことになりますね。
でもね、昨日の僕のノートにはこう書いてあります。
・俺だって苦労してるもん!
・俺だって苦しんだもん!
・俺だって辛かったもん!
・俺だって頑張ったもん!
きっと、僕の中のインナーチャイルドが叫んでいたんだと思います。
結局、母は死ぬまで、僕のそういうところは認めてくれませんでした。少なくとも、本人の言葉から聞いたことはありませんでした。ここらへんも実はちょっとした話があるんですが、いつか、機会があれば話しますね。今日はちょっと長くなりましたので、この辺にしておきます。
☆☆☆
岡田さんは、昨日の講演で、生まれたての子供を「穴の空いたドーナッツ」に例えていました。で、本来は親の愛があればその空いた穴は埋まるはずだって。でも、埋まらなければ、あとは、自分自身で埋めるしかないって。それは、自分に対して、優しくなることしかない、っていうことだそうです。なぜなら、自分が自分に優しくならなければ、他の誰が優しくしてくれても、満足しないから、だそうです。
恐らく、僕は親の愛は一般的な意味では十分すぎるほどあったけど、でも、ドーナッツの穴は空いたままのような気がします。
僕は、会社を辞めて、自分の人生を歩むことによって、穴の半分は埋まった気がします。でも、昨日の話を聞いてまだ心がワサワサとしたのは、きっとまだ、半分しか埋まってないのかもしれません。でも、これから、少しづつ、埋めていきます。
そして、穴の空いたままのあなたの人生の穴が少しでも埋まるように、お手伝いしていきたいと思います。
もし、ここまで読んでいただいたとすれば、本当にありがとうございます。
さて、次回は、一般論にまた移ります。テーマは、自分軸で考える、ってことについての僕の考えです。果たして、一回で終わるかなぁ。
とにかく、乞うご期待!
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