ごろごろごろうの なまけものブログ

サラリーマンを「卒業した」なまけものの作者の、ゆるーーいブログ

自分と向き合うこと、の僕なりの解釈 ー 人生をハッピーにするブログ

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こんにちわ。

なまけものカウンセラーでお馴染みのごろごろごろうです。

本日、初めて、僕の英語講座にお一人お客様が来ました!とても嬉しい一日です。かんぱーーーい!

さて、前回ブログから、3日以上も空いてしまいました。予告では、「気分変調症?非定型うつ?双極性Ⅱ型?わたしはなんなの?」ということを書く予定でした。実際、僕も含め、多くの「うつ」に悩む方々が、自分としては何も症状が変わったつもりがないのに、先生によって、あるいは、同じ先生でも時期によって診断名が変わり、患者としてはとても戸惑うことがあり、それについて、僕なりの解釈を書くつもりでした。

ただ、いろいろと調べていくうちに、軽々に医療の素人が病名まで踏みこんで書くのはやはりいろいろと誤解を招く、という結論に達しまして、少なくとも公開のブログの場で話すのは止めることとします。そんなことを考えていた3日間でした。申し訳ございません。別に宣伝するつもりはございませんが、このことでお悩みの方がいらっしゃいましたら、個別にお答えいたしますので、ご連絡下さい。

本日は、「自分と向き合うこと」についての、僕なりの解釈についてお話します。

☆☆☆

質問から入ります。

「自分と向き合う」ってどんなイメージが浮かびますか?

僕はどうしてもスポ根世代や「マネーの虎」とかの根性物語で育っているものですから、なんか厳しい指導者なり「本当の親友」なる人が出てきて、「お前、本当に自分と向き合ったことあんのかよ?」「それがお前の本当の自分か?」とか、なんだか、厳しく詰め寄る姿しか、浮かばないんですが、それは僕だけでしょうか。

多分、僕だけではないと信じて、先に進めます。

自分に向き合う、って、自分を厳しく問い詰めて、問い詰めて、問い詰めて、問い詰めて、どんどん、問い詰めていって、その最後に残るもの、ってイメージありませんか?

あるいは、そんなスポ根的なイメージではなく、修行僧が厳しい修行の末、煩悩をすべて捨て去った先に得るもの、みたいなイメージでもいいです。

もちろん、そういう考え方も否定はしません。

ただ、根がなまけものの僕はそんなことを自分に課したことがないので、「その先」に何があるのか、さっぱりわかりませんし、得たいともあまり思いません。

でも、それでも、自分と向き合うことは、生きていく上で、自分にとってハッピーな人生にするために、必要不可欠だと思います。

ただ、ここでいう「自分と向き合う」ことは、そんな厳しいことを意味していません。

自分と向き合う、とは、最近の僕なりの解釈では

「自分の心と向き合う」「自分の心の声を聞く」「自分のインナーチャイルドの声を聞く」

ってことのように思います。

で、それも、実は、僕はそんなに難しいことではないと思ってます。

なぜなら、心を一番表しているのが「感情」だからです。

自分が今「怒っている」のか、「悲しい」のか、「楽しい」のか、「嬉しい」のか、「不安」なのか、「寂しい」のか。

そういった、自分が今、どういう感情を持っているのかを感じ取ることによって、自分の心の叫びが聞こえます。

それが、「自分と向き合う」の意味するところだと思っています。

もちろん、状況によって、その感情を抑えなければならないことは多々あると思います。が、それでも、まず、自分の感情がなんなのかに気づいて、心の叫びを聴いてあげて、その上で行動する。あるいは、話す。

そこに「自分と向き合う」大切さがあるように思います。

☆☆☆

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次回のタイトルを予告するのは今後、やめようと思っています。それに縛られて書けなくなってしまうのが、一番良くないので。

なので、次回は何を書くか、僕もわかりません。

乞うご期待!

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乃木坂46真夏の全国ツアー2019@神宮球場初日を見終えて(その2)ー人生をハッピーにするブログ

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こんにちわ。

なまけものカウンセラーでお馴染みのごろごろごろうです。

今日は久しぶりになーんもない1日でした。ただ、こういうな~んもない日はフリーランスにとっては誰とも喋らない日だったりします。だから、必要以上にレジのおばちゃんと話して、発声練習をしないと、ちょっと寂しかったりします。(ごめん、おばちゃん!)

さて、昨日の続きを話します。本日は2部構成となっております。最初に僕のライブの感想、特に僕が乃木坂はこうあるべき、と感じたライブのあるコーナーについて語り、次はなぜそう感じたか、乃木坂のことをあまり知らない人でもわかるように、その背景についてお話します。

なお、できるだけ今回で終えたいので、ちょっと長めですが、お許しください。

☆☆☆

僕がライブに参戦したのは、神宮ライブの初日でした。ライブで一番盛り上がるのは最終日ですが、さすがに最終日はチケットは取りづらいと考えていたので、初日にしたのですが、それでも知り合いには抽選に外れた方もいたようです。

前日にグッズの事前販売でTシャツやら推しメンタオルやらペンライト(サイリウム)やらを購入し、準備万端で当日を迎え、午後5時に席に向かい、人、人、人をかき分けてアリーナの自分の席を探すと....

なんと!中央ステージの最前列の席でした!!

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他のライブはあまり知らないんですが、乃木坂の場合は厳正なる抽選の上、席が決まるので、本当に、本当にラッキーでした。

だから、彼女らを一人ひとりまさに間近に見ることができました。そりゃあ、もう、興奮ですよ!ただ、正直、あまりにも目の前にいるもんで、緊張してそれぞれの名前を叫ぶことは全くできませんでしたが。。。(照)

ライブ開始から、『夏のFree&Easy』『裸足でSummer』などの夏ソングでいきなりテンションをあげたあと、次いで3期4期のコーナーに入り、それぞれの歌を歌い、ユニットコーナーでは松村沙友理率いる「さゆりんご劇団」(ファン注:さゆりんご軍団ではない)の寸劇などがあって、次いで『インフルエンサー』『命は美しい』などの表題曲や『滑走路』『日常』のアンダー曲(ところで、『命は美しい』と『日常』の振付はかっこよくて好きなんだよなぁ)で盛り上がったあと、でした。

「そう、これ!これが僕の欲しかった乃木坂像なんだ!」ってなったのは。

齋藤飛鳥「選抜、アンダー、1期、2期、3期融合!」の掛け声とともに巨大スクリーンに選抜、アンダー、1期、2期、3期それぞれの過去の姿が映り、そして、本当に、それぞれの区分に関係なく、3つのグループにわかれて、『あの日咄嗟に僕は嘘をついた』『ここにいる理由』『不等号』など、多くのファンが好きなアンダー曲を披露しました。

なぜ、これが僕の求めているの乃木坂像なのかは、次のセクションで。

で、その後、ドキュメンタリー映画「いつのまにか、ここにいる」のテーマ曲である、『僕のこと、知っている?』で今度は4期も含めた全員が期別にメインステージから中央を通り過ぎてフロントステージ(?正式名称がわからない)までランウェイを歩きながら歌い、最後は輪になって(この時、飛鳥が最後に来た4期を「おいで!おいで!」と手をふる姿がとても印象的でした)、彼女らの団結力を見ました。

その後、齋藤飛鳥のプロも顔負けのドラムを披露して終盤を迎え、アンコールの最後は定番の『乃木坂の詩』で会場と一体となって盛り上がってライブは終わりました!

本当に良かった!興奮した!何よりも楽しかった!

★★★

え?何が良かったかわからない?知らない曲ばかりだし、、、

そうですねぇ。ま、ここからが解説の部です。

と言っても、各曲の解説をするつもりはなく、ライブの中盤でこれが僕の乃木坂像だ!って思った理由だけ話しますね。

 昨日の記事で彼女たちは揃いも揃って引っ込み思案で、かつ、だからこそ仲がいいそこがファンにはとても魅力的だったりする、っていいましたが、それは、このグループ特有の制度に基づく彼女らのもつ様々な葛藤が見えたりするからこそ、さらにその「仲の良さ」の魅力が際立つ、というところがあります。

その一つが選抜制度です。これは、シングルが発売されていても、全体の18~22名程度しかその歌を歌うことが出来ない、というある種サディスティックな制度で、残されたメンバーはアンダーと呼ばれ、テレビなどの露出に極端に差が出ることになります。特に最近は選抜の常連化が進んでいて(個人的にはこれは運営側がメンバーをアンダーからあげられないというよりも、選抜から落とせないという思いがあるように思いますが)、なかなかアンダーから上がることが出来ない状況になっています。それでも、アンダーにはアンダー曲という曲が与えられたり、また、数年前からアンダーだけのライブ、通称アンダラと呼ばれるライブを行ったりして、徐々に活躍の場が多くなっています。また、伊藤純奈は舞台で、山崎玲奈はテレビで、という風に、アンダー常連であってもメンバー単体で活躍している娘も多くいます。が、そうは言っても、彼女らの間の格差がファンの間では見え隠れします。

もう一つは、彼女らの加入が数年ごとの募集に基づいており、加入当初の1期、2年後に加入した2期、その3年後に加入した3期、そして昨年12月に加入したばかりの4期と期別に別れていて、同期・先輩・後輩という、緩いとはいえ、上下関係があります。で、それぞれの期にはそれぞれの期特有の葛藤があると同時に、同期の間でも選抜組とアンダー組に別れていたりして、実はこういう葛藤の多い環境下で仲がいいのが不思議なくらいです。

実際、秋元真夏が学業専念から離れて活動再開してすぐに選抜の前の方の列に選ばれ、その影響で後列に回されたと思った西野七瀬が長い間秋元真夏を無視していて、1年後位にに西野七瀬がライブでファンの前で「真夏、おかえり!」と叫んでようやくわだかまりを溶いたのは有名な話です。

こういった、選抜・アンダー制度や期別の先輩後輩の間柄などがあるからこそ、グループに様々なドラマが生まれるのですが、彼女らはその障害を一つ一つ乗り越えたうえで、今の仲の良さがあります。

だからこそ、僕にとって、今回のライブの「選抜・アンダー・1期・2期・3期、融合!」のコーナーでそういう乃木坂全体の様々な関係を超えてグループ編成を組み、そして、敢えてそこでアンダー曲をみんなで歌った、そこに感動があったわけです。

乃木坂46は物語である、という話があります。グループとしての物語があり、選抜・アンダーの物語があり、期別の物語があり、メンバー一人ひとりの物語があり、そして、卒業後もその物語が続いていき、それらの物語が融合し、ゆったりとした雄大な流れとなっていく。

まさに、人生そのものです。

だからこそ、僕は彼女らを愛してやまないのです。

☆☆☆

そろそろこの辺にしますね。

次回は、心理の話に戻ります。「気分変調症?非定型うつ?双極性Ⅱ型?わたしはなんなの?」という題で、病名が様々なこの「うつ病」について語ります。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

  

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乃木坂46真夏の全国ツアー2019@神宮球場初日を見終えて(その1) ー 人生をハッピーにするブログ

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こんにちわ。

なまけものカウンセラーでお馴染みのごろごろごろうです。

僕のブログが、ありがたいことに僕の所属する起業塾天職塾)仲間にいつの間にかシェアされていて、その方のコメント欄にカウンセリングを勉強されている僕の知らない方が「読むぞー!」的なコメントされているのを拝見して、ものすごくプレッシャーを感じている今日このごろです。

ただ、本当にそういった方には今日は本当に申し訳ない。今日の記事は、前回の予告通り、僕の大好きなアイドルグループである乃木坂46について(だけ)の話です。ただ、過去の僕の記事「自分軸で考える、をアイドルで考える」で書いたとおり、僕が彼女らを好きになったのは、単に可愛い女の子たちの集団だから、という理由だけではなく(いや、その要素は決して否定はしないけどさ)、彼女らの歌(歌詞が最も重要な要素ではあるけど、振り付けやMVにもその世界観は現れています。)や彼女らそれぞれの人生への向きあい方を通じて、自分軸とか、生き方を学び、それがカウンセリングに生きているのは紛れもない事実です。

ですが、この記事では、僕の初ライブ参戦となった、8月30日の神宮球場ライブで彼女ららしさを僕が心から実感したコーナーがあって、それについて書こうと思っています。

思いますが、トップアイドルと言われているものの、どうも僕の周り(老若男女に限らず)にはまだ良くは知られていないようなので、初心者向けに乃木坂46の簡単な紹介から始めることとします。

☆☆☆

突然ですが、クイズです。乃木坂46って現在(2019年9月3日)何人でしょう?

え?46人?ぶっぶー。100人以上?ぶっぶー。

正解は、一昨日、前キャプテンの桜井玲香が卒業したので、今現在、43人です。実は、彼女らが46人になった時期はそんなにないんです。大体の時期は40人前後で推移しています。詳しい人数の推移については、Wikipediaの記事に詳細に書かれているので、そこに譲ります。

そして、もう一つ聞きます。

メンバーの名前をどれくらい知っていますか?

え?歳のせいかみんな同じに見える?

いや、それは否定しませんが(否定せんのかい!)、でも、実は、僕の知る限り、20代の若い方でも、ファンでない限り、白石麻衣くらいしか知らない、って感じの方が多くて、今や乃木坂のエース格の齋藤飛鳥や、ミュージカル界で引っ張りだこの生田絵梨花すらも知らない人がほとんどです。でも、安心して下さい。(「履いています」、じゃなくてえ)僕も1年前までは当時のエースの西野七瀬すら知らなかったのですから。

一方で、敢えて全盛期と言わせてもらいますが、全盛期のAKB48については、ファンじゃなくても、前田敦子とか、大島優子とか、指原莉乃などの名前は出てきてたと思います(顔の区別がつかなくても)。モーニング娘だって、後藤真希安倍なつみなど、少なくとも全盛期当時は何人かのメンバー個人の名前は知られていたと思います。

一方、乃木坂46のメンバーは単体(メンバー一人)で活動していないから知られていないのか、というと、全然そんなことありません。多くのメンバーはそれぞれ別々の女性誌で専属モデルとなっていますし、映画で主演している現役メンバーも2人いて(来年公開予定の映画で主演予定の白石麻衣除いてます)、生田絵梨花はミュージカル「レ・ミゼラブル」のコゼット役や「ロミオ&ジュリエット」のジュリエット役など今や引っ張りだこで、どちらが本業なのかわからないくらいですし、舞台の世界では、たくさんのメンバーが、主演級も含めて数多く出ています。テレビでも、山崎怜奈あるクイズ番組の準レギュラーです。ラジオでは、オールナイトニッポンで2部から1部に昇格した新内眞衣をはじめとして、多くのメンバーが様々な番組でレギュラーMCとして活躍しています。昨年は高山一実が小説「トラペジウム」を発表し、20万部を超えるベストセラーとなって、作家デビューしています。

つまり、乃木坂の現役メンバーであるにも関わらず、みんな単体で十分活躍しているんです。でも、なぜか、メンバーの名がそれほど知られていない。

それには、どういう理由があるのかいろいろと分析できそうですが、僕なりに考えると、一番大きな理由は、彼女ら全員、揃いも揃っていい意味での仲間思い、別な言い方をすると、ともすれば芸能人としては致命的な、「引っ込み思案」的な性格にあるように思います。すなわち、それぞれ単体では頑張るけど、いざ乃木坂46」というグループの活動になると、どうも一人ひとりの顔がファン以外にはあんまり見えない(ように彼女らの性格上そうなっちゃってる)、ってことが大きく関係しているように思います。

そして、彼女らは本当に仲がいいようです。それは、昨年の写真集でベストセラーとなった「乃木撮」という写真集にも現れていますし、それに最近のアイドルは昔と違ってブログや密着番組、密着ドキュメンタリー映画を通じて、舞台裏の楽屋生活がかなりの程度見せる必要があるので、そうそう嘘はつけないところがあります。(本音の本音までは見えませんが、でも、普通の人だってその辺はわからないでしょ?)

そして、その仲の良さが僕にとって、そして、多くのファンにとっての魅力なんです。

☆☆☆

あらあら。書き始めたら、本題(ライブの感想)に行く前に2600字超えで、1つの記事としては少し長くなりすぎました。

申し訳ございません!あと1回だけ(多分)、お付き合いください!その時に、今回のライブで感じたことを書きますから。(本当にすみませんねぇ)

今回はこの辺にします。

次回にご期待!(え?してない??してよーー!)

 

 

 

日本語が、世界中のどの言語よりも特別なところ ー 人生をハッピーにするブログ

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こんにちわ。

なまけものカウンセラーでお馴染みのごろごろごろうです。

一昨日、乃木坂のライブに初参戦しまして、その興奮冷めやらぬ僕です。いやあ、良かった!本日(2019年9月1日)はまだライブ最終日なので、それが終わるのを待ってその感想を含めた、僕の乃木坂愛たっぷりのブログをアップします。覚悟しとけよーー!

 

そして、本日は、ガラリと話題を心理方面から変えて、日本語という言語が世界中のどの言語よりも特別なところについて、語りたいと思います。

その前置きとして、ちょっとだけ自己紹介すると、僕は幼少時代、正確には小学校2年から中1まで、オーストラリアの現地校に通ってまして、英語環境にどっぷり浸かっています。(TOEIC990点だぞお!すげーだろー!)また、サラリーマン時代、海外に関連する仕事も多く受け、インドネシアに2年間滞在し、さらに出張でアジア・アフリカを中心に16カ国に行っております。

なので、「言語」ということにはすごく敏感だったりします。で、そういった中で日本語は他の言語と比較してすごく特別で、だからこそ、コミュニケーションをするにあたって他の言語には出来ない、特殊性に気づいたりします。もちろん、その逆(つまり、日本語では表現できないことととか)もあるけど。

それを、先日見た、ミュージカル「ダンスレボリューション~ホントのワタシ~2019」の題名で語りたいと思います。ミュージカルの大まかなあらましは自分軸を語る上でとても大切だったので、2017年8月27日付けのブログ「自分探しの旅で「自分」がみつからなくても」に書きましたので、合わせてそちらの記事もご覧いただくと嬉しいです。

 

☆☆☆

僕は言語学者ではないので、細かい所の比較はできませんが、それでも、日本語には僕の出会ってきた他のどの言語とも明らかに異なる特徴があります。

それは、同じ言語なのに文字が「漢字、ひらがな、カタカナ、Roma-ji」の4タイプもあることです。

これが、外国人が日本語を取得する上で恐らく最も苦労する点だと思います。

そして、例えば、韓国、タイ、アラビア地方、インドなどアルファベットじゃない文字の国に行ったことある方ならわかるかと思いますが、自分の全く知らない文字で書かれている看板やメニューをみると、ものすごい不安になります。責めてアルファベットで書いてあれば、意味は全くわからなくても、なんとなく発音できる気がするんで、少しは安心します。だから、日本語の場合、ローマ字はともかく、3つもどの国にもない文字(正確には中国では漢字が使われているけど、簡体字だから、微妙に違う)で書かれている(第一、最初は違う文字であることすらわからないでしょう)ので、外国人が日本に最初に来た時の不安は容易に想像できます。

 

しかし、その日本人は、勉強ができるとかそんなの関係なく、誰でもこれらの文字を使いこなしています。これって想像以上にすごいことなんですよ。

その上、日本人はこれらの文字を使いこなす上で、それぞれの文字から受ける印象がぜんぜん異なる、ってことを無意識に享受しています。こんな言語、多分、日本語以外ありません。

分かりづらいかと思うので、先日見たミュージカルの副題の「ホントのワタシ」で考えてみましょう。

「ホント」というのは、漢字で「本当」って書いて、ひらがなで「ほんと」って書いて、ローマ字で「honto」って書きます。また、最近では、外来語の活用も多く、「リアル」と言ったって多くの方にそれは通用します。

同じように、「ワタシ」は私、わたし、watashi、ミーでも通じます。

これだけで、ホントのワタシ、というのは、理論上、5×5=25通りの書き方があることになります。表面的な意味は全く同じなのに、しかも同じ発音なのに、25通りも書き方がある言語ってないでしょ。

しかも、ホントをホントウとして、ワタシをアタシやワタクシとしても、意味は同じになります。そうすると、ひらがな表現も含めれば「本当」(7通り)×「私」(9通り)=63通りもあることになります。(計算合ってるかなぁ)

 

ただ、ただです。

 

意味は同じなんだけど、受ける微妙なニュアンスが違うんです。ここは、日本人、しかも、現代の日本人にしかわからない、本当に微妙なニュアンスだったりします。

例えば、このミュージカルの副題が

 

~本当の私~ だったら、なんか、大人の人生独白のようなイメージを受けます。

 

~ほんとうのわたし~ だと、幼い、小学生のような感じのおんなの子が、魔法だかなんだかわからないけど、誰にも知られていない秘密があるような、そんな印象です。

 

~リアルなワタシ~ って、これはなにやら、深層心理にせまるような、深い感じがしません?

 

このミュージカルは高校生の女の子が自分って一体何なのか、っていう言わば自分探しをして、それを見つけたら途端に生き生きとするようになった、という物語です。

だからこそ、ここは

 

~ホントのワタシ~

 

でないといけないときっと作者は考えたんだと思います。というより、そういう作者の気持ちがこの文字表現で伝わってきます。

また、その印象は人によっても、年代によっても、人生経験によっても違います。

つまり、日本語には文字が4つも種類があることで表現が実に豊かになり、本当に微妙なニュアンスが表現できてしまう、世界中のどの言語よりも特別な言語なんです。

そして、それを自然に使いこなしている我々は、すごいんです。これは勉強ができるとか、できないとか、そんなの全く関係なく、ってところが大事です。

 

当然ですが、僕はこの記事を通じて、決して日本人礼賛をしているのではなく、ましてや、他民族に対する優位性がある、って語っているわけではありません。そこは本当に誤解のないようにお願いします。

中国人には中国人の、韓国人には韓国人の、イギリス人にはイギリス人の、アメリカ人にはアメリカ人の、ドイツ人にはドイツ人の、アラブ人にはアラブ人の、マダガスカル人にはマダガスカル人のそれぞれの特別な良さがあり、すごいところがあります。そして、どの民族も人間として共通する良さやすごさがあります。それは世界中を出張したり住んだりして実際に現地の方々と接触している僕だから、わかります。

そこは、絶対に、誤解しないでくださいね。

さて、次回はたっぷりと乃木坂ワールドへといざないます。

乞うご期待!

 

 

なんか俺(私)うつかなぁ、って思ったら ー 人生をハッピーにするブログ

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こんにちわ。

なまけものカウンセラーでお馴染みのごろごろごろうです。

昨夜は久しぶりにどっっと(精神的に)疲れが出て、眠ろうと思ったら、眠れないし、あああああ!って思ってノートに書いても「疲れた」しか出てこないし。

ふと、いつかどこかの電車の宙吊り広告に「劇場版コードブルー」がアマゾンプライムビデオで配信開始と書いてあったのを思い出し、観ました。

観たあと、ちょっとした気づきがあって、自分が今、このブログ(ごろごろごろうのなまけものブログ)を通じて誰に手を差し伸べたいのか、を改めて思い出しました。

 

僕が手を差し伸べたいのは、

「俺(私)、うつなのかなぁ」

って思って、心療内科もしくは精神科に行こうかどうか、迷っている人たちです。

あともう一つは、

「俺(私)、心療内科に何年もかかってお薬ずっと飲んでるけど、全然うつが治らないーー」

って思っている人たちです。

こういう人たちをとにかく一人でも多くハッピーにしたい!と思っています。

☆☆☆

うつは心の風邪、と言われてかなり久しいです。

そう言われているのは、うつ病っていうのは別に「甘え」でも「怠け」でもないよ、誰にでもふとした時にかかる「病」だから、自分を責めないでお医者さんに行きましょう、ってことのようです。

でも、あなたが最近どうもやる気が出ない、とか、仕事が手につかない、とか、集中力が続かない、とか、夜眠れない、とか、当日半休(もしくは全休)しがちなどの「症状」が出て、どうも鬱みたいだけど、心療内科に行くかどうしようか迷っているとか、

もう、心療内科に何年も通っているし薬も飲んでいるけど、アップダウンはあるもののなかなかやる気が出ない、とか、治る」見込みがたたない

とかで悩んでいるとすれば、

心療内科に行くのは止めないけど、同時にカウンセリングも受けましょう。

なぜなら、のやる気のなさは「軸」や「インナーチャイルド」と関係している可能性が高いからです。

もっと簡単に言うと、そう言った悩みの多くは脳や神経などの「身体」の問題ではなく、「心」の問題が主体だからです。だから、クスリで症状を和らげることも一つの手段ではありますが、自分の心が何を訴えているのかを聞いてあげないと根本的なところは変わらないのです。しかもそれを悩んでいる人が一人でやる(自分の心の声を聞く)のはすごく難しくって、訓練された第三者が一緒になって考えていくあるいは助言するほうがずっと速いし、明るい未来につながる。

僕は、もっと若い頃上記のような状況(やる気がない等)になった時、お医者さんに相談することしか頭に思い浮かびませんでした。もちろん、カウンセラーというのがいるのは知ってはいたけど、どうやったら自分がカウンセラーさんにつながるのか、全然わかりませんでした。

もちろんネット開ければいろんな情報がありましたが、下手なカウンセラーにあたって、最終的に宗教に誘われたり、妙な壺を買わされたりするのも怖かったし、それから、特に自己啓発セミナーなどに良くあるんですが、強烈に心を揺さぶられてそれでおしまい、なんて情報もあって、とにかく、「治したい」気持ちはあるし、そしてクスリだけではどうにもならないのは知ってはいたけど、でも、そういったカウンセリングに挑戦するのはすごく怖かった。

一方、実際にお医者さんに併設された臨床心理士によるカウンセリングを受けたことも人生で3回あります。1回目は僕が20代後半の頃で、2年ほどお世話になりました。その結果、確かにやる気は戻ったと思います。でも、その時のカウンセリングは傾聴のみだったので、本当に自分の何が変わったのか、全然実感できませんでした。なので、それから約10年後、「再発」しました。2回目は、僕が40代後半だった頃で、厚労省でうつ病などに有効とされた「認知行動療法」を受けたものの、なんだか面倒くさいフォームを渡され、それを毎日、いや毎時間記入するように言われて記入したはいいけど、全然うまく行かず。3回目はその1年後だったかな?に受けたけど、僕が「傾聴で」とお願いしたからというのもあって、結局、なにも変化がなかった。

なので、カウンセラーになった自分が言うのはおかしいんだけど、すごいカウンセラーに対する不信感がありました。

でも、この世界(カウンセラー業界)に足を突っ込んでみてわかったけど、臨床心理士の資格を持ってなくても、いや持っていないからこそ、いろんな手法で、傾聴だけじゃなく、いい意味でアドバイスしてくれるカウンセラーさんは日本にいっぱいいます。実は僕はそれを本当にもっと早く知りたかった。人生、無駄な経験はないと未だに思いますが、無駄な苦しみ、味わう必要が全く無い「苦しみ」はあると思ってます。その一つが、この「うつ」とやらにとらわれることです。

誤解を恐れず思い切って言うならば、『「うつ」は「甘え」や「怠け」じゃない』、って考えがそもそもおかしい、と思います。それは、逆説的に、「うつ」じゃなければ「甘え」とか「怠け」になる』という考えが根底に見え隠れするからです。もっと言えば、そもそも、「甘え」や「怠け」が悪い、という他人軸的な考えが、特に「勤勉」と言われている日本人には根本的にあって、それが無駄な苦しみを生む、と言ってもいいかもしれない。

何はともあれ、もし、自分はうつかな?って悩んでいたり、あるいは、なかなか「治らない」と思って苦しんでいるとすれば、カウンセリングを受けてください。

確かにカウンセリングには相性とか、自分のタイミングとか、いろいろあります。

なので、もし一人目がうまくいかなくても、別の人を頼めばいい。

もちろん、僕を試してほしいし、良くする自信はあるけど、でも、それが嫌でも、僕に相談してくれれば、変なカウンセラー(宗教に勧誘したり、壺を買わされたり)ではない、いいカウンセラーに確実につなげますので、遠慮なく相談してください。あるいは、そういうことで悩んでいる方が周りにいれば、それもご連絡ください。

 

 

自分探しの旅で「自分」が見つからなくても ー 人生をハッピーにするブログ

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こんにちわ。

なまけものカウンセラーでお馴染みのごろごろごろうです。

今日はまず、本日のできごとをいつもより、少し詳細に伝えます。このブログのこれまでの内容と重なるからです。

それは、昨日、このブログを見てくれた知人からのメッセージから始まりました。その知人はかつて僕が勤めていた会社のアルバイトだったのですが、同じ時期にアルバイトだった別の女性が、昨年から15年ぶりに女優業を再開し、ミュージカル「ダンスレボリューション~ホントのワタシ~2019」に出演していると言う話で、しかも「実は明日(すなわち今日)で終わりだけど、行ってみる?」と勧めてくれました。正直、こういうお誘いはいつも「どーしよー」とか思って考えあぐねた挙げ句、結局行かないことがほとんどなのですが、今回ばかりはなぜか気づくと「行く!」と返信していました。多分、副題の~ホントのワタシ~に惹かれたんだと思います。

というわけで、本日、13時に築地に行って観てまいりました。

結果、本当に良かったです。

主演の女の子は佐藤妃星(きあら)という、AKB48の娘なので、(乃木坂46に限らず)坂道派の僕としては本当は言いたくないんですが(笑)、本当に良かった。変に舞台臭くなく、かと言って声も張っていて、表情も豊かで、心揺れる17歳の女の子をうまく演じていました。

もちろん、かつて僕が働いていた会社でバイトだった女性(石井澄代さん)も、セリフも歌も踊りもあって、脇役とはいえ、しっかり脇をはっていました。良かったよおおお!

そして、最後は正直、主人公の女の子の母親役のセリフにうるっと来てしまいました。

で、なぜ、これをブログにわざわざ書くかと言うと、ただの宣伝や自分日記のためではなく、内容が主人公の女の子の自分軸探しの夏休みの話で、まさにこのブログの内容と深く関係するからです。

随所に自分とは何か、あるいは、好きになるとは何か、あるいは、好きになったあとの葛藤、親や祖母の温かい応援など、自分軸探しにはなくてはならないセリフが散りばめられていて、いろいろと考えさせられました。

 

☆☆☆

前置きが長くなりましたが、しかし、今日話したいことの半分はこの作品の話なので、これでいいんです。

自分軸探しの旅。世間一般では「自分探しの旅」という言葉で言われていて、バックパッカーになってインドに行ったり、沖縄の民宿でバイトしたり、北海道で牧場体験したり、被災地でボランティアしたり、そんなことをイメージしますよね。

で、なんていうのかなぁ、周りはどちらかというと、冷めた目で見ている場合が多かったりするものです。(割と僕もそういう派でした。)

で、インドや沖縄で本当の自分が見つかればいいですし、仮に見つからなくても、「やっぱり我が家が一番ね!」ってお茶をすすりながらしみじみして(昭和のホームドラマ風)、本当の自分は実はここにあった、って感じるのもまた、良しだったりします。

でも、実はなーーんも得ないまま、帰ってきて周りにヤイの言われるのが嫌で「やっぱインドってさあ、すっげえや!」とか言って、どこかの本に書いてあったような感想しか頭に浮かばないような人も、なかにはいるかと思います。

あるいは、「自分探しの旅」に行く知人を逆に冷めた目で見てたはずなのに、実は心のなかで羨んでいるにも関わらず、周りに合わせて「あいつ、バカじゃねぇの」って言っている、逆側の人もいるかも知れません。

 この2つの事例はまさに他人軸で考えている典型例ですね。

 

でも、仮に自分探しの旅で自分が見つからなくても、あるいは自分探しの旅に出る勇気が出なくても、きっと自分は見つかります。

それは、常に、自分のなかにあるから

でも、それは、この舞台の主演の女の子のように、いろんな行動を起こさないとわかりません。(この舞台では、お母さんに「その腐ったドヨーンとした目、それでは人生無駄にする。なんとかしなさい!」と言われ、主人公の女の子がおばあちゃんに感化されながら、座禅とか、サッカー選手とか、カウンセラー(!!これ、自分探しのあるあるだったりするんで、少し恥ずかしかった)など、いろんなことを試します。)なぜなら頭で考えているだけではなく、行動を起こし、それが自分にとってワクワクすることなのか、心が踊るようなことなのか、それを一つ一つ試してみないとわからないから。

だから、一つ試したら、毎回、自分の心に問いかけてみてください。で、どんなちっちゃなことでも、ワクワクするようなことがあれば、心躍るようなことがあれば、ノートなりに書き込んで忘れないようにしましょう。

一方、試してみて、心躍るようなことがなく、ワクワクしないなら、それは止めて、次に行けばいい。で、どんどんいろんなことを試していく。

ま、これを心理学では解決志向アプローチとか言ったりしますが、この際、名前なんてどうでもいいんです。

とにかく、行動を起こして試してみなければ、駄目かどうかすらもわからない。

そして、僕自身が55歳で会社を辞めていろいろ試しているように、その行動(旅)を始めるのに年齢が遅いことは全くない。せっかくご両親からいただいた大切な自分の命です。いい意味で大切に生きましょうよ!本当に、いくつになったって遅くない。生きてさえいれば、いや、死ぬまで生きているわけですから、死ぬまで試してみましょうよ。(実はこの主人公のおばあさんは余命1年と宣告されたという設定ですが、「わたしゃ死ぬまで生きるよ!」って力強く女の子を励まします。)

ただ、当然、試すのは、若ければ若いほうがいいのは確かです。なぜなら、若ければ、年寄よりは一般的に多くの年数が残っているから。なので、仮にこのブログを読んでくださっている方に若い方がいて、この主人公の少女のように将来何したらいいのかわからないのなら、なんでも行動して挑戦してみてください。本当に何でも。思いつくものは片っ端から。で、いくらでも失敗して、そして挑戦して、ワクワクするもの、心躍るものを見つけてください。

とはいえ、おじさんだって負けないぞおおお!

本日もお読みいただき、ありがとうございました。

明日は、少し趣向を変えて、「英語を話すことについて」語りたいと思います。

乞うご期待!

 

人生辛いのはなぜか、を他人軸という観点で考えてみる ー 人生をハッピーにするブログ

こんにちわ。

なまけものカウンセラーでお馴染みのごろごろごろうです。

 この間の自己開示のブログを書いている最中から突然エアコンが暴走し、温度調節が効かず、どんどん冷えていったのでたまらず切ったら、今度は動かなくなり、部屋が蒸し風呂状態で耐えられなくなったので、コメダ珈琲で作業している僕です。なんだか、怪奇現象みたいだよーー。母の話を書いていたから、いたずらしに来たのかも。たまに遊びに来るんだよねぇ。とりあえず、木曜にメーカーさんが様子見に来てくれます。

さて、本日は、「自分軸で考える」ことは何か、ということが今ひとつ、理解できない人のために、逆に「他人軸で考える」ことってどういうことなのか?について、考察します。

え?表題と違う?まあまあ、そこは固く考えず、まあ、読んでみてくださいね。

☆☆☆

生まれたての頃は、当然、人間は自分というものがまだわからないので、他人軸に沿って生きるのは当たり前です。

でも、自分がある程度わかるようになってくると、他人のしてほしいことと、自分がしたいことが矛盾するようになります。これが反抗期です。

でも、反抗期がうまくいかないと、自分のしたいことを抑えるようになります。それが、他人軸で考える、ということです。

例えば、下記の行動基準をいいます。

・他人の顔色をみる。

・空気を読む。

・他人がどう思うかが極端に気になる。

・「普通」とか「常識」とかを気にしすぎる。

もちろん、人は他人と関わる動物である以上、自分の行動が他人にどう取られるかを気にしながら生きるのは、生存する上でとても大切です。

思いやりや優しさなんかも、人の気持ちを考えるとても大切な考え方です。

だから、他人軸で考えることを完全に否定するものではありません。

むしろ、相手を尊重することはとても大切な考え方です。あるいは社会で生きる以上、常識とか、マナーとかも大切だと思います。

思いますが、自分の本当のしたいことを抑えすぎると、いつの間にか、自分の気持がわからなくなり、他人がしてほしい(と思っている)自分になろうと必死になります。

こうなると、生きているのが本当に辛くなります。

だから、自分軸で考える、ということが大切なんです。

他人が思っていることとは関係なく、まずは、自分が何をしたいかを考える。それを行動の基準とするんです。

そのうえで、他人が思っていることを考えて、それが自分の気持と矛盾する場合は、どちらで行動するかを自分で選ぶんです。

例えば、朝起きて、会社に行くのが嫌だったとします。

この場合、自分の気持は会社に行きたくない、ってことですね。そこをきちんと自分のなかで受け止めます。

でも、そこで、その気持に反して会社に行った場合と、自分の気持に従って会社を休んだ場合とを比較して、どちらかが大切かを自分で選ぶ。

ここが大切なんです。

こうすると、会社に行くにしても、会社を休むにしても、自分で選んだことなので、気持ちがとても楽になります。

要は、自分の気持ちを一旦受け止めた上で、それに従うかどうか、どちらが自分にとって大切かを選ぶことで、自分の気持を尊重することになります。

これが、僕の考える、自分軸で考える、ということです。

そうすると、生きることがとても楽になりますよ。

とにかく、まずは自分の気持を理解し、それを大切にしてください。ただ単に世間の常識に従うのではなく、自分で主体的に生きる。これが楽に生きる、コツだと思います。

☆☆☆

今日は僕の言いたいことがうまく伝わったかどうか、ちょっと自信がないけど、ほんの少しでも、生きることが辛い人たちに伝わって楽に生きれるようになれば、とても嬉しいです。

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例えば、なんか、人生が行き詰まったかな?とか、仕事がうまくいかない、とか、人生楽しくない、と思ったら、下記にご連絡ください。まだ駆け出しなのは事実だけど、人気カウンセラー2人からカウンセリングや心理学に関して1年半もの間コーチをみっちり受けて、これまで10人以上もカウンセリングしてきて、うち二人は自分軸をきちんと見つけているから、安心してください。僕はきちんとあなたを受け止めます。

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