ごろごろごろうの なまけものブログ

サラリーマンを「卒業した」なまけものの作者の、ゆるーーいブログ

自分と向き合うこと、の僕なりの解釈 ー 人生をハッピーにするブログ

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こんにちわ。

なまけものカウンセラーでお馴染みのごろごろごろうです。

本日、初めて、僕の英語講座にお一人お客様が来ました!とても嬉しい一日です。かんぱーーーい!

さて、前回ブログから、3日以上も空いてしまいました。予告では、「気分変調症?非定型うつ?双極性Ⅱ型?わたしはなんなの?」ということを書く予定でした。実際、僕も含め、多くの「うつ」に悩む方々が、自分としては何も症状が変わったつもりがないのに、先生によって、あるいは、同じ先生でも時期によって診断名が変わり、患者としてはとても戸惑うことがあり、それについて、僕なりの解釈を書くつもりでした。

ただ、いろいろと調べていくうちに、軽々に医療の素人が病名まで踏みこんで書くのはやはりいろいろと誤解を招く、という結論に達しまして、少なくとも公開のブログの場で話すのは止めることとします。そんなことを考えていた3日間でした。申し訳ございません。別に宣伝するつもりはございませんが、このことでお悩みの方がいらっしゃいましたら、個別にお答えいたしますので、ご連絡下さい。

本日は、「自分と向き合うこと」についての、僕なりの解釈についてお話します。

☆☆☆

質問から入ります。

「自分と向き合う」ってどんなイメージが浮かびますか?

僕はどうしてもスポ根世代や「マネーの虎」とかの根性物語で育っているものですから、なんか厳しい指導者なり「本当の親友」なる人が出てきて、「お前、本当に自分と向き合ったことあんのかよ?」「それがお前の本当の自分か?」とか、なんだか、厳しく詰め寄る姿しか、浮かばないんですが、それは僕だけでしょうか。

多分、僕だけではないと信じて、先に進めます。

自分に向き合う、って、自分を厳しく問い詰めて、問い詰めて、問い詰めて、問い詰めて、どんどん、問い詰めていって、その最後に残るもの、ってイメージありませんか?

あるいは、そんなスポ根的なイメージではなく、修行僧が厳しい修行の末、煩悩をすべて捨て去った先に得るもの、みたいなイメージでもいいです。

もちろん、そういう考え方も否定はしません。

ただ、根がなまけものの僕はそんなことを自分に課したことがないので、「その先」に何があるのか、さっぱりわかりませんし、得たいともあまり思いません。

でも、それでも、自分と向き合うことは、生きていく上で、自分にとってハッピーな人生にするために、必要不可欠だと思います。

ただ、ここでいう「自分と向き合う」ことは、そんな厳しいことを意味していません。

自分と向き合う、とは、最近の僕なりの解釈では

「自分の心と向き合う」「自分の心の声を聞く」「自分のインナーチャイルドの声を聞く」

ってことのように思います。

で、それも、実は、僕はそんなに難しいことではないと思ってます。

なぜなら、心を一番表しているのが「感情」だからです。

自分が今「怒っている」のか、「悲しい」のか、「楽しい」のか、「嬉しい」のか、「不安」なのか、「寂しい」のか。

そういった、自分が今、どういう感情を持っているのかを感じ取ることによって、自分の心の叫びが聞こえます。

それが、「自分と向き合う」の意味するところだと思っています。

もちろん、状況によって、その感情を抑えなければならないことは多々あると思います。が、それでも、まず、自分の感情がなんなのかに気づいて、心の叫びを聴いてあげて、その上で行動する。あるいは、話す。

そこに「自分と向き合う」大切さがあるように思います。

☆☆☆

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次回のタイトルを予告するのは今後、やめようと思っています。それに縛られて書けなくなってしまうのが、一番良くないので。

なので、次回は何を書くか、僕もわかりません。

乞うご期待!

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