ごろごろごろうの なまけものブログ

サラリーマンを「卒業した」なまけものの作者の、ゆるーーいブログ

なまけものブログ ー 昔は良かった?おっさんのつぶやきと反省

こんにちわ。

ごろごろごろうです。

今日は、昨日、整体で心と身体をほぐしてもらったおかげで月曜なのに元気よく出社しております。やはり、こういうのは大事ですね!整体の先生、ありがとうございます!

 

昔の話をし始めると、まあ、おっさん・おばさんの始まりですね。

「昔は良かった」「昔は苦労したもんだ」

これに、「今の若者は」ってのが加わると、もう、末期症状です。若者はどんどん離れていきます。

 

さて、今日は、少しおっさん的な話をします。と言っても、別に説教にはならない(と思う)ので、少々お付き合いください。

 

今でこそ「パワハラ」とか「ブラック企業」とか、いろんな言葉があって、上も下もいろんなこと、気をつけていますが、そういうのは昔(少なくとも僕が社会人になった平成元年あたりでは)は割と普通にどこの会社でも役所でも行われていたように思います。あ、それはいいこととは思いません。が、「社員」を育てる、という美名のもと、上司が怒鳴る、無理な残業をさせる、下手すると灰皿を投げる、なんてのはどこの会社でも多かれ少なかれあったことです。

当たり前だったからこそ、誰も被害を訴えることなく、そのまま受け流されていました。

何を隠そう、この僕も入社3年まではさんざん直属の上司に怒鳴られ、無理なノルマを与えられ、たぶん、それが原因で気分変調症という、病気のようなそうでないような、変な精神障害をこじらせることとなりました。

 

でも、それでもなお、昔は良かったと、否、どちらかと言うと、今は本当に大変な時代になったなぁ、って最近思います。

 

なぜなら、僕がパワハラを受けていても、必ずそこには後からフォローしてくれる先輩がいて、美味しいものを食べさせてくれたり、愚痴を聞いてくれたりして、例えパワハラ上司が何も変わらなくても、いっときでも心が和らいだものです。

あるいは、同じような立場の同僚がいて、カラオケに行ったり、土日はバーベキューに行ったり、冬場はスキーに行ったりして、少しは気分転換になったものです。

 

基本的に、ノミュニケーションなる日本の文化はそういう、打ちひしがれた若者たちに対してフォローをする場だったので、だからこそ、ノミュニケーションは日本の会社文化が円滑に進むための貴重な場であり、決して仕事の延長で仕事の話をする場所ではなかったはずです。

 

それが、いつからでしょうか。僕も含め、会社の人間とプライベートで会うことは本当に嫌なことになりました。いや、プライベートまで会社の人間に縛られるのはもってのほかって感じになったような気がします。

もしかしたら、僕の周りだけかもしれません。他の会社ではまだそういうコミュケーションはあるのかもしれません。あるいは、そういうのを避けるようになったのは僕だけなのかもしれません。

 

でも、どちらにしても、僕が先輩から受けたフォローのようなことを果たして僕の後輩たちにしているのか、って考えると、甚だ疑問です。

正直、社内のアーダコーダを引き受ける心の余裕がなくなってきています。

社外の、全く関係のない人の悩みを聞く分には全く問題ないのですが、肝心の、身の回りの後輩たちのいろいろな悩みや愚痴を聞く余裕がありません。

業務が終わったら一直線に退社します。

退社後まで関わりたくありません。

 

僕は入社当時いろいろとフォローしてくれた先輩や同僚、時には後輩にも、本当に感謝しています。そういうみなさんがいなければ、一体僕はどうなっていたのか、想像も付きません。

 

なのに、そういう先輩になっていない自分に対して、本当に反省しています。

 

そして、昔はもう少し、みんなも心に余裕があったように思います。いつから、こんなふうになってしまったのだろう。

 

みなさんが幸せでありますように。