ごろごろごろうの なまけものブログ

サラリーマンを「卒業した」なまけものの作者の、ゆるーーいブログ

なまけものブログ ー 「普通」ってなんだろう。

こんにちわ。

ごろごろごろうです。

いきなり、変なタイトルですみません。

 

最近、ネットで、テレビで、リアルで、いろいろな人達の様々な人生に接する機会が多くなっています。

で、本当に思います。

「普通の人生」ってなんだろう、って。

そんなもん、あるんだろうか、って。

恐らく、気持ちがモヤモヤしている人たちの大半が、自分と「普通の人生」を比較して、その「落差」に傷つき、苦しんでいるような気がします。

そして、「普通の人生」が、あたかも、周りの人たちの多くがそうであるような、そんな気がするからこそ、より苦しみが増している、そんな気がします。

でも、一体全体、普通ってなんでしょう。

産まれた家庭の両親は愛に満ち、もちろん離婚もしない。自分は地元の公立の小中学校を出て、そこそこ中堅の進学校に行き、そこそこ中堅の地元の国立か中堅の私大に入り、無事卒業し、まあまあの職場に入る。あるいは、例え学校の成績が悪くても、手に職を付けて、あるいは親の商売を継いで、そこそこの稼ぎが手に入る。その間、いじめもパワハラもセクハラも性暴力も体験せず、うつやパニック障害などの精神疾患にもならずに、いつの日か結婚し、子供を儲け、その子どもたちも自分たちと同じような人生を送る。もちろん、借金はせいぜい、住宅ローンぐらいしかない。当然、子どもたちは奨学金地獄にならない。

このあたりが日本の「普通」の定義かと思います。

でも、一体全体、これを全部クリアできる人間は日本中にどれだけいるのでしょう。

一見母親は「普通」に見えるけど、毒親かもしれない。

中学校でいじめられ、一時ひきこもりになったかもしれない。

LGBTかもしれない。

学費を払えず、風俗に勤めるようになったのかもしれない。

会社でパワハラに会い、精神疾患になって、今でも抗うつ剤が手放せないかもしれない。

愛を持って結婚したはずなのに、性格が合わず、離婚するかもしれない。

会社からリストラされ、借金苦になるかもしれない。

 

ここ日本でも、さまざまな人生を知れば知るほど、「普通」なんてほとんどないんだ、ってことに改めて気づきます。むしろ「普通」である方がどちらかというと少数派であることに気づきます。

僕が言いたいのは、「普通」がむしろ、少数派であるにもかかわらず、日本の社会は、制度的に、社会的に、「普通」であることを前提にできています。

そして、一度その「普通」のレールから外れると元に戻れない恐怖がそこにあります。

だから、自分は「普通」でないにもかかわらず、レールから振り落とされないように、必死になって「普通」のフリをします。

でも、それはあくまでも仮の姿です。自分ではありません。

だから、「普通」を演じている人たちはものすごく苦しいのです。

 

いつの日か、この「普通」という定義に縛られず、それぞれが自分たちの個性を活かしながら、他人の個性や人生をきちんと理解し、自分との違いをきちんと認識し、お互い納得して折り合いを付けていくような、そんな社会になれればいいな、って心底思います。

 

僕もそうなろ。