こんにちわ。
ごろごろごろうです。
今日は、朝、さらにぎりぎりに起きました。
どうも、抗不安剤の効きが強すぎたようです。気をつけます。
さて、今日は昨日の続き、というか、僕の人生物語から少し脱線して、オーストラリアでの生活に差別はあったのか、という点について書きたいと思います。
現代、特にここ数年は、差別問題が議題として度々上がっています。LGBT、障害者、貧困、Me-tooに始まるセクハラ・女性差別、そして、大晦日の「ガキ使」の番組でハマちゃんがエディー・マーフィーのものまねで顔を黒塗りにしたことが炎上騒ぎとなりました。
差別の問題は恐らく人類史でも相当古くから出てきた問題であり、時代時代の新しい問題を取り込みながら、現在でもまだまだ続く問題だと思います。
さて、先日書いたとおり、僕がオーストラリアに住み始めた頃は、まだ「白豪主義」が制度的にも残っていた時期であり、非白人が移民として定住することは許されてませんでした。1973年に労働党政権になって、人種による移住の差別はなくなりましたが、帰国するまで街で黒人やアジア人を見かけることは非常に珍しかったです。
ただ、「移住」と「一時的な滞在」は別で、我々のような日本人の駐在員は比較的ビザは取りやすかったかと思います。
そんななか、幼い僕は白人ばかりいる現地校に放り出されました。言葉も何も知らずに。大人になった今は、すごい大胆なことをしたなぁ、って思います。もし僕が親だったら、「差別」や「いじめ」はないだろうか、きちんと馴染めるだろうか、ってすごく不安になっていたと思いますし、そんなこと一言も言わなかったですが、当時の僕の両親も同じように心配したかと思います。
結論から言うと、住んでいた5年半、差別やいじめを感じたことは一度もありませんでした。確かに、若干の差別的表現(からかい半分で僕を見ながら指で自分の目をつりあげたり、カラテ(カンフー??)のポーズしたり、両袖に腕を通したり(下図参照。孔子を真似たものと思われる))をされることはままありました。また、町中でも見知らぬ子どもたちにそのようにされたことも極たまにありました。ただ、友達のからかいは決して「いじめ」に値するようなものではないし、遊びの中で出てきたものです。また、町中でそのような行動をされても、決してそれは絡まれたりするような深刻なことに発展せず、スルーすればそれで終わりでした。
むしろ、現地の人たちは知り合いであっても、全くの見知らぬ人たちであっても、みんな暖かい目で僕を包み込んでくれて、居心地はものすごくよかったです。みんながみんな、親切に、というより、普通のオジー(Aussie、オーストラリア人のことをこう呼ぶ)として迎え入れてくれました。当然、悪さをすれば普通に怒られましたし、いいことをすれば最大級に褒めてくれました。
だから、幸いなことに登校拒否とは全く無縁の生活でした。
誤解を恐れず言うならば、オーストラリア人は日本人よりも余程大らかで、度量が大きかったような印象をもっています。
僕の人生を形作る上でこの「大らかさ」に出会ったことは非常に大きかったように思います。
もう少しおおらかになろ。